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ケノーシャ(Kenosha)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州南東端に位置する都市。シカゴの北約85km、ミルウォーキーの南約55kmに位置する。人口は99,218人(2010年国勢調査)〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.〕で、ミルウォーキー、マディソン、グリーンベイに次ぐ州第4の都市である。 1900年代から1980年代までにかけては、ケノーシャは自動車産業の街として発展したが、その後は主にシカゴやミルウォーキーへの通勤者が住む郊外都市として機能している。物理的な距離はシカゴよりミルウォーキーのほうが近いものの、統計的にはシカゴ都市圏に含まれており、また実際にもシカゴの近郊列車であるメトラの終点となっていたり、イリノイ州北部からの移入者を多く集めている〔Moore, Thomas S. ''The Disposable Work Force: Worker Displacement and Employment Instability in America''. p.11. Hawthorne, New York: Aldine De Gruyter. 1996年. ISBN 978-0202305202.〕など、シカゴ都市圏最北端の郊外都市という位置付けになっている。しかし、地域経済や文化はシカゴとミルウォーキーの両方の影響を受けている。 ==歴史== この地には最終氷期には既に人類が住み着いていたと考えられている〔Wasion, David. The Mammoth Hunter: David Wasion's Quest for Pre-Clovis People in North America . ''The Citizen Scientist''. 2005年2月11日.〕。少なくとも13,500年前には、この地にはパレオ・インディアンが住み着いていた〔Falk, Terrence. ''Bones to Pick''. ''Milwaukee Magazine''. 2004年4月.〕。やがて時代が下って住み着いたネイティブ・アメリカンは、この地で繁殖するパイクに由来する名をつけた。ポタワトミ族は、この地を「パイクの地」を意味する''gnozhé''と呼び、オジブワ族もまた、「パイクが一堂に集まる地」を意味する''Masu-kinoja''と呼んだ。 この地に初めて入植したヨーロッパ人は、1830年代初頭にニューヨーク州のトロイおよびハンニバルからやってきた、ジョン・ブレン・ジュニア率いる西部移出会社の一団であった。彼らはミルウォーキーやラシーンを経由して、1835年6月6日にブレンが購入したこの地のパイク・クリークのほとりにたどり着き、丸太小屋や木造の家屋、学校、教会を建て、入植地を創設した〔Frank, M. The Early History of Kenosha . ''Collections of the State Historical Society of Wisconsin''. p. 370. Madison, Wisconsin: State Historical Society of Wisconsin. Ed. Lyman Copeland Draper, L.L.D., Secretary of the Society. 1904年. Qtd. by Kenosha County, WIGenWeb.〕。入植者が増え、最初の郵便局が開局すると、この入植地はやがてパイクという名で知られていくようになった。その後、この地がミシガン湖の重要な港になると、村はサウスポートと名を変えた。村は1850年に正式な自治体となり、かつてポタワトミ族がつけた''gnozhé''という名を英語読みしたケノーシャという名に変えられた〔Kenosha (Origin of the Place Name) . ''Dictionary of Wisconsin History''. Wisconsin Historical Society.〕。 20世紀初頭から1930年代にかけては、イタリア系、アイルランド系、ポーランド系、ドイツ系の移民がケノーシャに流入し、この地の建設、建築、文化、文学の分野に貢献した。また、20世紀に入ると、ケノーシャでは自動車産業が興った。1900年、ケノーシャ市内のサリバン・ベッカーの工場でプロトタイプの蒸気自動車が製造された。その2年後、1902年には、トマス・B・ジェフリー・カンパニーが大量生産技術を用いてランブラーの製造を始めた。トマス・B・ジェフリー・カンパニーは1916年にチャールズ・W・ナッシュに買収され、ナッシュ・モーターズとなった。同社は第二次世界大戦中には一時期自動車の生産を中止し、航空機のエンジンやプロペラを生産していたが、終戦後に自動車生産を復活させた。1954年にはナッシュ・モーターズがデトロイトのハドソン・モーター・カー・カンパニーを買収し、アメリカン・モーターズ・コーポレーション(AMC)となった。1960年代には、AMCは17,000人を超える従業員を抱え、全盛期を迎えていた〔Krerowicz, John. City’s auto history reaches back more than 100 years . ''Kenosha News''. 2009年4月20日.〕。 しかし、1970年代中盤に入るとAMCの業績に陰りが見え始めた。1979年にはAMCはルノーの傘下に入り、1987年にはルノーによりクライスラーに売却された。翌1988年、クライスラーはAMCから引き継いだケノーシャ工場の操業を停止し、ケノーシャにおける自動車産業は86年の歴史に幕を閉じた。ケノーシャ工場はその2年後、1990年に取り壊された〔。その後、ミシガン湖岸のこの工場の跡地はコンドミニアムやヨットハーバーを有するハーバー・パークとして整備された。 1993年6月には、ダウンタウンの6thアベニュー、54thストリートと59thストリートの間にシェリダン・ルグランデ街灯が設置された。この街灯は、もともとは1928年にウェスティングハウス・エレクトリックがケノーシャ市のために特別にデザインしたものであった。また、2000年6月には、68年ぶりに路面電車が復活した〔Kenosha Transit Electric Streetcar Route . Kenosha Area Transit.(PDFファイル)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケノーシャ (ウィスコンシン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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